作品詳細

節節

インカレポエトリ叢書 2

節節

川上雨季

「いまにも光を呑まんとする、だれかの水平線」

都市のスケッチ

くぐもった灰色に染まったふわふわの犬
昨日と同じ角で抱えられている
わずかな期待を抱えて前を通るが
彼/彼女の瞳は他者を決して認めない
光のささない深い黒さをたたえて

上半身が前に倒れないように
ガラスに写る 足を動かす
回転運動を伴う我々の移動は
動力を他に依存せずとも運転と呼ぶ

身体の自覚はごく限られている
両眉の裏から生え際にかけては
長方形の水面に守られていて
わたしの意識は揺蕩する
たしかに接地しているはずであるのに
プレートの小さな揺れを認識できない
どころか
まれに水面が傾くと
身体自体の一部もあわせて傾く
大きな段差を伴って

眠りから醒めた深夜の渇き
二杯目の味噌汁の器が傾いて
左手の甲に熱湯が注がれた
細く揺らぐ痛みは炎のゆらめきを肌に植えたようで
白く生気のない石の上に散った海藻と味噌の
非日常らしいあざやかさを前に
わたしだけが当事者だという自覚を提示した

電話をする男から離れ
床の上に自覚的に寝そべる皮の鞄
意思を持たされた物体に目を奪われながら
改札をくぐり抜ける


世(1)

(ふたつの瞳を支点として)

わたしはいま、その私性を排除しなければならないフェーズに到達している。
同じ章を長く続けすぎることは愛読家からは特に好まれない。
爬虫類のように皮を脱ぎ捨てその身の厚みを増し柔らかく生という複雑な事象をよりいっ
そう体現し、またかつて自分のいちばん外側を包んでいたもの自体も神秘さをもって尊重
されるものとなるのか、
あるいは、玉葱と同じく、こんどこそはその実態にたどりつけると信じながらめくりつづ
けて、いつか解体され酸化しきった残骸こそが実態だったのだと気づくことになるのかも
しれない。

どちらが正しいのだろうか。

時を経て成熟し洗練されうる知性の移ろいをたのしみにしているわたしと、
同時に起こるであろう肉体の酸化と摩耗をたまらなくおそれているわたしがいる。
ニューヨークを歩く中年女性はわたしを知らない。
逃げ場があることにほっとするようで、
もしかして誰にも見えていないのかもしれない、心細さに怯えるようでもある。
幼い頃にみたアニメのひみつ道具をつけていたら、あるいは。
たしかめたくなって息を吸う。
ひゅう、と気管支が小さく音を立てた。
近ごろ雨は冷たくなった。街頭に照らされて黒く光る地面は水をたたえてらてらと光る。
今夜は雨を浴びに行ったから、笛のように鳴る気管支はその代償だ。

(誰でもないを支点として)あるいはインターネットの提示

祝日の、人のまばらな車内、意識を保っている人たちのほとんどは手元を覗き込みせわし
なく指を動かし続けている。
素足でかかとのないローファーを履く女性の足の底からグレーの毛皮が飛び出ている。
その日の気温は二〇度を切り、空中を漂う粒子らしきものは次第に歳を取りはじめていた。

季節は無数の粒子の流転により起こる。

〝われわれ・あなたがた・それら〟(暫定的にそう記すほかない)が含むサジェストは厖
大であるためタンパク質の器には適さず、よってときおり不具合により受け取る個体は苦
しむことになる。
受け取ってしまった場合、彼らはまず白い壁に耐えられない。
また、鉄道のうち、地下を走るものもまた敵である。それらは窓を有しているのに景色を
欠いているためである。

四方を囲まれれば〝われわれ・あなたがた・それら〟に思考を覆われ真皮より深部が激し
く揺さぶられる。
タンパク質では応答が追いつかない振動が内部で起こり、軸としている視点が溝である時
間から外れそうになる。
たいていの個体はそれでも声を出す、その場を飛び出すなど咄嗟の本能的な防御姿勢を取
ることによりけなげにルートを保とうとするが、
ごく一部は魅入られてしまいそのまま溝を失う。
すると、所定の器ではもはや存在を維持しかねるため視点のみが独立することになる。
オリジナルに合流することはできず、視点は視点として流転をはじめる。
タンパク質の集合体が元素を崇めるコミュニティは、このような様態を不完全に複製した。
流転することは叶わなかった。



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詩集
2020/07/01発行
四六判 並製

990円(税込)