作品詳細

水際

インカレポエトリ叢書 1

水際

小島日和

「薬指をおかえしに上がりました、女は下げていた巾着袋を差し出した。」

エスカレーター

底のない穴のなかを
エスカレーターが動いている
上っているのか 下りているのか
とにかく、逆向きに乗ってしまい
遠い国のデパートのように
段差がなく平らになっているので
ベルトコンベアで運ばれているようでもあり
ほうれん草の束が滑り下りてきて
そちらが上かと知るのだが
反対側からも転がってくる鶏肉を
腕に抱えこもうとするなら降りねばならない
どこかからやってきた子どもが
扉の前に座りこみ
一本ずつ指をしゃぶっている
かれは得意になって
私よりずっと
とおくへはなす
ポケットから取り出した 抜け殻も
壊れて落ちていくままにはしない
手の平に残ったかけらまで
すっかり なめ終えてしまい
よくまわる舌から
ほつれた糸が引きだされていく
しわが寄り ひだが生まれ
とおくは ちかくへ絞られていく
踊り場から坪庭を見下ろす
排出される空気に巻かれながら洗濯物が落下していく
忘れ物をたしかめているとき、
わたしの背後では断層が広がっている
いつまでも搬出口が見つからない
喉の奥にはりついて離れない
灰汁をかき消すように
いきおいよく注いだ牛乳で飲みくだす


あぶら

スクリーンの上で燃えているのを見ていた。私は席を立ち、草原の一本道を帰っていっ
た。家では母が食事の片付けをしている。尽くされた食卓、ほどこされた胃袋、風通しの
よい窓ぎわに吊り下げられ、タイヤのように黒く固まる。
ごま油を買いに行くために、お隣から自転車を借りた話をする、染みのついたテーブルク
ロスを剝がそうとする、まだかえなくていいと言う、代わりに、弟のセーターを脱がしに
かかる、ささくれを撫でつけるふりをしながら、籐の椅子に座らせる、インターフォンか
ら分裂する声を、編まれることのなくなった、毛髪のなかに押しこんでしまう、私は
弟と同じ格好で絡まっている
外から焦げついた匂いがする
道に張り出して
全身で振る舞っている母は
体毛の一本ずつまで着膨れていく

むかし
弟が生まれたときにやってきた車を
もう誰も待ってはいない
私たちは家にあるものを偏りなく分けあっている
釜の底に残された ねじれた鍵だけでも
密かに舌へ饗することを
女たちは期待している
腹のなかで燃え尽きて取り戻せなくなること
口を開かなくなる
立ちつくす
なにも持たないで
頼んでいない
料理の皿が運ばれてくる
知らないうちに
うつるのをおそれ
覆った膜から濡らしはじめる



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詩集
2020/07/01発行
四六判 並製

990円(税込)