作品詳細

病棟

病棟

松澤和正

ある病棟の壁には詩が紡がれている

職場のリアルでもある。
病院での日々は患者としてしか知らない者が多い。
この詩集は病棟の中から語られ、私たちは貴重な体験をする。





鍵はいつもぼくらのポケットにあった
なぜなら病棟に出入りするとき
たいていは鍵を必要とするからだった
鍵はその昔ほんとうに先っぽにちょっとした長方形の
引っかかりがあるだけのものだった
真鍮製のまがまがしい光を放っていた
それを鍵穴に入れてちょっと回すだけで解錠された
ドアを開けてまた閉める 再び鍵を入れて回し施錠する
それだけのことなのに
夜勤のために入るときなどは その鍵の動きだけで
静まった病棟の隅がひととき騒がしい音に占められる
ぼくはただ一人でこの儀式を行わなくてはならない
病棟の患者のもとに行くために
薄暗い常夜灯に照らし出された廊下を歩き出す
まるで真鍮の鍵が照らす光をたどるかのように
ぼくは少しばかり不安を感じながら
看護師の詰所まで歩いていく
すると詰所にも鍵は待ち構えている
がちゃりと鍵を回して
いったいだれがだれを閉ざしているのかもわからずに
ぼくはドアを開けて部屋の明かりのなかに入っていく
そうかともかくもここを守るために
鍵は何重にもなっているのだなとふと思う
そうやって鍵は看護師の白衣と蛍光灯の
白い空間を守っているのだなと思う
それにしてもだれがだれを守っているのか
看護師が患者を 患者が看護師を守っているのか
さらには患者と看護師とを
外部のあらゆるものから守ろうとしているのか
だれがそんなことを考えたのだろうか
虚しくも悲しいドアというドアをつくって
鍵という鍵をつくって
それらをいっせいに作動させる
そんなことを考えてもなにひとつも変わらないだろうに
いずれにせよぼくらは狭い詰所に閉ざされる
そして患者たちも小さな鍵に閉ざされたまま
いま眠りについている
深い夜に閉ざされて
そのつかの間のはかない平穏のために
鍵たちはただそれを守っているのかもしない


【目次】

夜桜           
常夜灯          
ドアノブ         
蛇口           
鍵            
ナースステイション    
水            
影            
風            
診察室          
メモ           
テレホンカード      
アスリート        
コップ          
スプーン         
流し台          
雨            
拘束具          
消防士          
りす           
木漏れ日         
魚            
花見           
車椅子          
花の悲しみ        
睡眠薬          
朝            
給湯器          
暗い影          
雨音           
歯科室          
ファミレス        
ある天使         
机            
温室           
金魚           
テレビ          
退院先          
ひび割れた手       
青白い腕         
待合室          
交代           
木造の病棟        

詩集
2022/08/20発行
四六判 並製 カバー付き

2,200円(税込)