作品詳細

漆の扉

漆の扉

吉津謹子

川と地の境界の帯のような草地 そこに漆の扉があります

著者の吉津謹子は30年前に統合失調症と診断された。詩を書くことでその日々を今まで生きてきたという。ここに描かれる世界は、現実も幻も、同じリアリティを持って描かれている。そして作品に貫かれる「死」の空虚で生々しい感覚。吉津は幼いころに戦争を経験した世代である。生きること、死ぬこと、その人生の中から湧き出ざるを得なかった言葉。
自伝的作品でありつつ、人間に共通する大きな視点を持つ詩集だろう。


「死者の旅立った後に」

まっさらな夜明け
枯れた白骨が積み重なった夢の底辺にいて
鳥のさえずりと木の葉のざわめきを聴いている
夢の衣をぬぎ捨て
目を閉じると森が生まれた
と悲しみから解き放たれた死者が
夢の木霊に答えるように
ひとりまたひとりと旅立ってゆく
獣や鳥を飼う豊かな森には
三叉路の分岐点がある
死者たちはそのあたりに立ちつくし
季節の風の移ろいを聴き
水溜りから空との距離を測る
ひたすら舞いすっと消える雪
気まぐれな雲の行方を追いつつ
方位をかいでいる

死者たちは晴れた快よい日を選び
寛容な愛という妙薬に導かれて
巡礼のごとく 白い杖を連らねて
西方に向かう

しかし生きているものは
時間に貪られながらも
不滅なものに至る
視座のあることを知っている
それが幻想であったとしても

詩集
2016/10/10発行
A5 並製 カバー付

2,750円(税込)