作品詳細
讃歌
愛として 旅の讃歌を生むまで生きるだろう
ある時、私は究極的には愛の讃歌を書ければいい、いや書きたい、そう思った事がある。何故か。それは讃歌という言葉は最も容易に思えながら、実は讃歌が目標設置でもあるからだ。むろん愛という言葉を願うことの困難は至極承知している。だが、それは生あるかぎり最も見てみたいものでもある。実はこの『讃歌』という詩集は目次が先に書かれ、構想のもとに、ひとつずつ越えるように書き継がれた。むろん初めての試みであり、思えば連作とも言えるものである。何が見たかったのか。何故「讃歌」なのか、その問を解きたかったのである。(あとがきより)
旅は行方を確かに定めて 果てまで
旅の成果が讃歌を生むまでに生き抜こう
鎮魂は静かな面影の永遠の共連れとして
果たせぬ夢があったとするなら
宿命に終りのない許しを乞うならば
その旅を果たさねばならぬ 生涯
微笑とともにあるだろう
面影に悔いる声があるとすれば 愛として
旅の讃歌を生むまで生きるだろう
山河山水はその宇宙とともにある
そこに霧と風が吹けば季節の色どりとともに移る
木魂のように呼びかければ 愛として
木魂は返ってくるかも知れない それを信じて
旅を行く
(「愛として」より)
詩集
2017/12/25発行
A5判
並製 カバー付
2,750円(税込)