作品詳細

ラララフラワー

ラララフラワー

菊石朋

ここは羽を広げた王国だ 海があり太陽が昇る

菊石朋の詩の中には生と死が渦巻くようにゆっくりと、螺旋を描くように存在している。
私たちは身を引き締めながら、少しビクビクしながら読み進む。
「ラララフラワー」と心の中で繰り返しながら、
今自分がいるのはどっちの世界、と思わされてしまう。


六月


火を知らない
卯の花色の小さな骨が
渓流の寂しいところに転がる
  

空腹に傷つけられた痕
逃げ惑う水影


濡れた瞳を持つ生き物が
残した骨は
齧り取られた果実のように褪せ
白夜の明るい記憶から
いつかの冬に
雪を降らせている


雪が
翻る生命の空白に舞い降りると
足元の腐植土を
銀竜草が喰い破り
狂おしい碧い沈黙を躍らせる


汗ばむ土のなかで
目覚めた胎児は
闇を鎮めるほどの怒りに 
声も知らずに泣く
時が記される前に
石で己の牙を叩き折り
碧い沈黙と
乾いてゆく空を 見ていた



カラオケボックス


歌わないのか 
今は物置き場になっているらしい薄暗い階段を上り  
狭い廊下を歩き 寂しい音の鳴るドアを開く  
だれも歌わない部屋 だれかを思い出すときに灯るひかり 
も 部屋までは灯しきれず わたしもやはり歌わない人であり  
汚れた山羊が腰を掛けて 手紙を書いていそうな  
色褪せた薄い桃色のソファーと黴臭いテーブル
だれも歌ってこなかったのに 無数の曲が
この部屋に染み付いている 恐ろしいと 
髪の短い男性が 開けたことがないのだろう
暗い窓に指をあてて擦る だれも歌ってこなかった
この場所で 短い髪に白髪が混じる男性は
古い洋楽の曲を口ずさむ それ知ってる
というか わたしの大切なうた 広くなった額に落ちる
白い前髪を 両手でかき分けながら男性は 何も知らないという  
ソファーに腰を掛けると 必要以上に沈む  
部屋の隅にある埃をかぶった造花が
埃をかぶったオレンジ色の花瓶から顔を出し 曲順を考えている
だれも歌ってこなかった無数の曲たちが 順番を待つ
白い無精ひげに手をあてて男性は もう思い出すこともない
という でもここはあなたの部屋なんでしょう と
わたしは鞄から取り出したスマホの画面を覗く   痛い。
すっかり忘れていた目の前の珈琲カップに 冷めた
安っぽい香りが漂う 腰が捻じれ曲がった男性は
辛そうにゆっくりとソファーに腰をおろし 歌わないのか
と隣にいるわたしに尋ねる 何も知らないんだ
と男性は付け加える 夏草の匂い 
彼はまた 今日も此処で死んでしまうのだろうか
わたしは男性に微笑みながら  
わたしがまだ 名付けようのない形をした胎児 だった頃  
母が歌っていた デタラメでゆかいな子守唄 を少しだけ歌う 
母、作詞作曲です       
リノリウムの床に転がる
男性の骨は あっけらかんと白く笑っていて
頭骨には  
アンコーレ牛のような角が生えている


城戸朱理さんが担当されている共同通信の月評「詩はいま」(7月)に書評が掲載されました。
2022年9月3日の東京新聞夕刊の詩の月評にて、日和聡子さんによる書評が掲載されました。

詩集
2022/06/21発行
B6判 並製 カバー付き

1,210円(税込)