作品詳細
草茫茫
えのころ草の野っ原には赤ん坊の泣き声が聞こえるという。
分け入るほどにその声は増えてゆく。
その中に、三人の詩人がいると苅田日出美は信じている。
戦前7年、戦後75年を生きた苅田日出美の詩集である。
コロナの時代の今、「自粛」とか「禁止」の言葉を戦前と同じだととらえる。
詩の中には実体験だろうか空想だろうかと迷うような話がたくさん出てくる。
これが『草茫茫』の醍醐味である。
骨のなかの空
砂漠のなかに散らばっている骨
水を求めて干からびて死んでしまった
動物の骨盤に
オキーフは青空を描いている
デルボーは
骨は人体の基本構造だといって
美女の傍におなじポーズの骸骨を座らせる
キリストの磔刑像さえ骸骨で
泣いているマグダラのマリアたちも骸骨である
このところわたしは骨に
出くわすことが多かった
火葬場の鉄の扉から
白い姉さんの骨を拾ったり
写真美術館でみたセバスチャン・サルガドの
アフリカで骨をさがして歩いている
サルガドが撮っている何百人ものツチ族の遺体は
骨になるまでの時間がまだ残されていて
砂丘は大西洋沿岸から
ナミブ・スケルトン・コーストの境界まで続いている
白く乾いた骨盤のなかにある青い空に白い雲
オアシスのようにも見えるそこで溺れたものたちがいる
骨盤の中の空には仕掛けがあって
そこだけは空気が超音波に震えている
被苦人「ピクト」さん
そのとき
真っ先に走りだすのは『EXIT』の表示のなかで
ミドリの体で静止していたピクトさん
ホテルの廊下には数人のピクトさんが住み着いている
浴室やトイレで転ばないように
ポットで焼けどしないで
タバコは吸わないで
つまずかないで
どこの国の人が泊まっても
ピクトさんがいたら言葉はいらない
わたしの内から駆け出していく『EXIT』の人型
廊下は道路と同じなので服を着て靴も履いてといわれても
二十三階の二十七号室からエレベーターのところまで
スリッパのまま逃げていく
そこにもピクトさんがいて
扉にはさまれないようにと注意する
托卵された鳥のように異形のものを愛したり
もろくなった循環器を補強して
段差があっても転ばぬ先の杖をついて
わたしの内から逃げるように駆け出したものたちは
海馬の中にもぐりこんでいるのだろうか
しりもちをついているピクトさん
いつも危険を体現しているピクトさん
わたしのピクトは
日本ピクトさん学会に認定されるのだろうか
詩集
2020/11/30発行
A5判変形
並製 小口折