作品詳細
過剰
過剰な人生、2010‐2015
だれであれ
おれの詩にふれる者は
苦笑いを浮かべるはずだ
そして、言うのだ、そうか
こういう文章も
詩なのだな、などと
だれであれ
おれはおまえを許さない、
もしも詩が、おまえを
許すな、と命ずるのならば(「難渋詩篇」より)
時代は移り変わっている。詩の世界もしかり。
いかに古今東西の詩に精通した者であろうと新たな潮流に乗ることができるとは限らない。
ここに現れた過剰な生の横溢を見せる三人の男。
「過剰派」の時代が始まる。
『過剰』:大野南淀・藤本哲明・村松仁淀の3人がお互いの作品を批評し合う「熱狂的」な「生産的内ゲバ」が発端。大野の渡米中に天啓を受けたという藤本が村松を巻き込み七月堂に原稿を持ち込んで出版に至る。
「3人のコンセプトは共通している、あるいは生産的内向的闘争には共通の地盤があるべきである・・・安直なポストモダン批判、ポストモダニズムの抑圧とは?、モダンなものの再吟味、上方文学の復興、豊臣家再興、長曾我部盛親公礼賛、阪神タイガースV10論(大野のみ)、大大阪復興論(偶然にも維新の会と軌を一に!)・・・我々は今、生産的な愉しい内ゲバをさらに激化させようと思っています。というわけで、我々は、我々の文学にさらに生産的な攻撃を加える批評家をリクルートしようと考えています。」(大野)
興味のある方は三同人に直接、又は七月堂にご連絡下さい。
本文は三同人のイメージカラーで三色に色分けされている
詩集
2016/02/29発行
四六判変形
並製
『過剰』に捧げる言葉:小林勝行(ラッパー)