作品詳細

人物詩

人物詩

井澤賢隆

出会いのパルス(鼓動、振動)はもはや不動

人は思わぬ時間を生きてしまう時、多くの「生」の出会いと終焉に立ち会う。
井澤賢隆の詩は人々との出会いから生まれている。
妻であり子どもであり母であり父であり、師であり盟友達である。
交流の中で「自己」と「あるべき自己」とを模索し続けるが、
その言葉(認識)は出会った人々の存在を動じないものとしてゆく。



  目覚めよと叫ぶ声よ届け


予感がした
すでに三年前
結果的に最後となってしまった電話のとき
江嶋は三年以内に死ぬかもしれない と

すると すかさず
江嶋は私の心を見透かしたかのように
全く同じことを言った
俺は三年以内に死ぬかもしれない と
ゾッと震えたが 私はその直感を隠した

おまえのテレパシーはどんどん伝わってくる
電話が来るのはわかっていたよ
六本木の殺人事件は井澤がやったのだろう
杉並の放火犯人はおまえだな
大変だったな
俺は見ていたぞ

それから三年後
江嶋は逝った

九州に向かう新幹線の中で
私は江嶋へのさらなる詩を頭の中で書いていた
次々と言葉が湧き出てきたが
まとまらず 今は忘れている
そんなふうに あのときは
厚い言葉の糊塗によって
動揺する
自分を押さえ込もうとしていたのだ

もう半世紀ほども前
江嶋は誰かとぶらり私の下宿にやってきた
 お アコースティックギターやるんか
手に取って 艶っぽい声で弾き語りを始める
私はジャズミュージシャンの
お下がりのウッドベースでそれに合わせる
このとき一瞬で
お互い 呼吸がピタリと合うことを感じ取った
江嶋は調子に乗って羽目を外し出す 
私はそれを押えるようにして柔軟についていく
この 即興ぞくぞくの快さ  

演奏で即座に息が合うということは
もともと 二人の存在の波長自体が
どの場でも共鳴できているという本質があるからだ
そんな稀有な関係の展開

赤提灯内 酒を飲みながら 
一時間以上
タモリ語だけで掛け合いを続けたことがある
これが 分かりすぎるほど分かるのだ
めくるめく眩暈愉悦
だから
おまえがスキゾの妄想シャワーに入り込み
隠喩断片哲学のスピード強度のままに
早口しゃべり続けても
こちらも同じ強度でハンマーを
うんうんトントン叩けるのだ

江嶋の根柢にある自由自在の遊びの広さ
それは太無端 無底底
怠惰なままに怠惰になり
懶惰なままに懶惰になり
空虚なままに空虚になり
遊びのままに遊びになる
絵を描きたいときには絵を描き
料理を作りたいときには料理を作り
木彫りをしたいときには木彫りする
そして
そんな脱落恬淡の自在さに触れた女を
すぐ惚れさせてしまう
だが
そこをさらに突き抜けて
触気 超気
気が気に触れて
昏昏 混沌 頓と知を超え
悲願の彼岸に行ってしまった

病棟から戻った江嶋の死顔には
いく筋かの細い傷があった
それは自分の死をまだ自覚できていない
生きた聖痕のようだった
ならば 
目覚めよ 目覚めよ 中有から戻ってこい
そのまま 届け 届け 
この叫びよ この声よ 
漠然呆然の心の中で
私は自分を吹っ切るかのように叫んだ

江嶋は 
私の根柢にもある無礙自在さを
同じ地平から見抜き指摘した 
最初の他者だ
貰ったものはたくさんある
共有できた空間時間はそのまま生きている
私はまだアコースティックギターを抱え
艶っぽいおまえの声を真似て
弾き語りをやっているぞ
江嶋よ そのまま天から加わってこい

詩集
2023/01/20発行
A5 並製 カバー付

表紙・扉黒板画:森下貴史

2,200円(税込)