作品詳細
インカレポエトリ叢書 29
Human 構造
私は後悔しないから聞いてごらん
安息日
夜遅く食事を食べ尽くしてろうそくをふっと消す
ニンニクヨーグルトソースで汚れたお皿を台所まで
みんなで運んでゆく
挨拶を交わしたら外に出て雨が降ったのを気づく
激しい冷たい風も北極から吹いてきた
私はマフラーを持ってくればよかったと思う
北極を恐れている雲が都市の光で
おりに銀色でおりに金色だけど印象は何より薄い幽霊の存在だ
目上の揺れている桜の花のよう
半透明な雲の体のかなたに月のうやむやに満月になろうとしている姿
今夜うさぎでも男でもない
月は世界を睨みつける
そのおもい鋭さに潰されそうな私は車に乗ってエンジンをかける
風がなければ温度が奇妙になる
暖かいとも冷たいとも言えない
空気がネバネバしている
吸うと息が止まりそうな質感で私の周りにギュッとしめる
これも月の実行だろう
走っていって私は公園の果てに沿って進む
赤信号で待たされると隣に車一台が
ゆっくりと揃えて止まる
この間誰かに最近車のペンキのキラキラが消えたなと言われて
今この車を見るとその通り
クリーム色マニキュアにそっくり
キラキラがなければ車の三次元性も不明確になる
液体のようなシャシーが
今この一瞬でも溶けたら私は驚かないだろう
隣の車の音楽が大きくてベースのドキドキが窓二重を通して
私までに響く
そのエンジンの唸り声が私の胸に沈む
街の光と同じくこの夜(よ)の音も
分厚い毛布の向こうから鳴っているのを私は確信している
鼻に気持ちいいブーの音を感じている
私はドラッグ・レーサー族にあった可能性はゼロではないから
横目で隣の車の運転席の人を
ちょっと見ようとする
眩しくて輝いている白い腕
細くて柳の枝のようなしとやかな手
ありえない隣の車から浮かんでくる紫の香り
重力が不安定になった 時間もこの気配に従った
今さら車の時計が間違っているのを気づく
私は月の目をもう一度感じる
体が海のように月の欲望に合わせて定期的に動き始める
そちへ内地へと思えば
すぐこちへ海へともかたむく
目の端からそのひらめいている柳の腕をまたちらっと見る
その指が持っているタバコのチェリーが
かすんでいる空気の中で赤く輝く
信号が青くなったら隣の車のタイヤがきしんで
エンジンが吠えてそのパテのような姿が
夜のもやに消えてゆく
五秒経ったら私もアクセルを踏んで車を走り出す
雲と共におびえて逃げている
金曜日なのに他の車はない
みんなは月の目を感じているようだ
みんなはその薄くなっている紫の香りを嗅いでいるようだ
ニンニクと一緒に
アパートに着いてドアを開けたら猫が囚人のように自由の匂いをして
私の足の間に滑って
廊下をパタパタパタと走っていく
隣の人が私の鍵を聞いて
友達が来たと間違えて思ってドアを開ける
よくあること
彼のアパートからもニンニクの香りがする
詩集
2024/11/30発行
四六判
並製 小口折り
表紙写真・デザイン:ローレル・テイラー