作品詳細
インカレポエトリ叢書 23
鋏と三つ編み
誰かをおににしなくちゃいけないこの世界は
プラスティック・ジャングルで生き延びるには
かばんの染みから追憶が広がり
サンドイッチを食べた午後
レタスのかけらが風に吹き飛ばされて
アスファルトのうえを走った
踏切が開くのを待つ
あいだに日曜日の退屈を十本まとめて
踏みつけた、毛羽立った皮膚を掴んで持ち上げた
葉脈が透かすいのちが水を飲むのを急かして
喉に通り抜ける液体は
午前二時の海と同じ色をしていた
眼球と都市のあいだにプラスティックの板が
幾重も重ねられて、その板が増えるたびに
わたしの足の裏は地面から少しずつ引きはがされていった
手のひらのなかに街灯がともる頃
にきみと待ち合わせがしたかった
今ではシャボン玉のなかに浮かんで
三叉路を探して
散歩をする保育園児たちを眺めて
あの手押し車に乗ってみたかったな(わたしは幼稚園児だったから)
などと思って、十字路の数を数えて
カラーコーンを脳内で適切に配置して
歩道橋の上り下りの合計段数を予想して
ドミノ倒しになった自転車を次々と起こしてゆく人の
ゆっくりと歩を進める人が横断歩道を渡るのを守る人の
落ちているハンカチを縁石の上に載せる人の
倒れた人に声をかけるのをためらわない人の
背中に生えかけの羽を見た
ビルの間に草が伸びていた
わたしは東西南北を知らず
ラジオの周波数をうまく合わせられず
マスクがずれて正しい言葉が見つからない
二十世紀の尻尾に生まれ
二十一世紀に四則演算を訓練し、文字を覚え、美術に触れ、文学を読み、哲学を学び、ノー
トパソコンのキーボードを叩き続けて
詩あるいは免れ得ない死に向かって
ただ垂直に上昇するけれど
昇る太陽がまぶしいあまりに
すぐに地上に突き落とされてしまう
じたばたと四肢を揺れ動かして
地団駄を踏む、情けのなさを
きみは見なかったことにした
コートのポケットにペットボトルをねじ込んで
明け方にコンビニエンスストアまで歩いた
国道をまばらに走る車のうちの一台の
車体の赤が
きりきりと追い詰められて、しぶきを上げた
返り血を浴びたわたしのコートもまた
もともと赤かったのだった
歩くほどに赤の一部は濃さを増していった
ほとんど黒になってもまだ、コンビニエンスストアは遠かった
手近な人をつぎつぎと恋人にするきみの家には
コンビニエンスストアがすぐ近くにいくつもあった
便利さに見放されたわたしのコートに付着した血も
そろそろぱさぱさに乾いてきたころだ
顔を上げると太陽がすぐ目の前に
あって、皮膚がじわりと汗ばんだ
ふいに体温計をかざされて電子音が響いた
三十七度を超えていて足止めを食らった
水と血を交互に飲んで、平熱に戻し
歩を進めるけれど
コンビニエンスストアはいまだ遠くて
赤いコートは次第に重さを増して
ペットボトルの水はあとふた口分しか残っておらず
それもすべて道端の草にあげてしまって
途方に暮れて歩き続ける道すがら、背中に羽の生えた人が
新しいペットボトルをそっと手渡してくれた
開封したはじめのひと口を
目が合った野良猫にあげて
脱げた右足のバレエシューズを履きなおした
詩集
2023/09/30発行
四六判
並製 小口折