作品詳細

サイボーグの夜

サイボーグの夜

井上英明

此処へ来い 早く 今日からあなたと共にいる

日常や福祉や戦争を直接の題材にしていても
技巧の意匠をことさらにまとうことなく
屈託も衒いもない打算もない本詩集の素朴な佇まいこそ
物事の核心を遠巻きにしている傍観者を無心に打つことになる
それは詩人の奥深くに澄んだ怒りの一滴を蓄えているからであろう
              柴崎 聰



「あゆむ」の哲学


「あゆむ」の体育祭があって 妻のスマホに彼の百メー
トル競走の映像が送られて来た 四人でスタートライン
に立ち 合図とともに一斉に走り出す 疾走する子ども
たちから遅れて 腕でバランスを取りながら歩くよりは
急いで と言った方が的確かも知れない だが彼は走っ
ているのだ
三人がゴールした後も必死で走る 長男の嫁さんの が
んばれ の声がスマホから聞える 観衆のざわめきと拍
手が聞えてくる 彼にとって 勝つ ことではなく 今
は彼なりに一生懸命走り切ること
ようやく彼のために用意されたゴールテープをきる 上
級生から着番が書かれた紙きれを渡され それを誇らし
げに掲げてクラスメートの所に行き たくさんのハイタ
ッチをしている
もう分っているはずだ 自分とクラスメートの違い 結
果が分かり切った競走だから 不参加という選択肢もあ
ったはずだ だが彼はそれに挑むというより参加した
彼にとって着番が書かれた紙切れの数字に意味はない 
紙切れはそこに居て ともに 楽しんだという証し そ
れが「あゆむ」の哲学なのだ
帰宅した彼は 見たよがんばったね という妻の言葉に
少し照れる 照れることを知っている十歳の男なのだ 
それにしても 「あゆむ」の哲学 が理解できれば 世
の中はもう少し住みやすくなるのだが



ベトザタ異聞


世話になり信頼している者を その能力を妬んで裏切り
陥れようとする誘惑は私の中にあり 裏切りを正当化で
きないがために 孤独となり赦しの場を求めるのだ
エルサレムにベトザタという池があり その水が動くと
き いち早くその水に入った者の病が治るという言い伝
えがあった 三十八年そこに横たわる男は 良くなりた
いかと問われて 良くなりたい とは答えず 主よ誰も
私を助ける者がいないのです と言った 
男は知っていた 病が良くなるということはこれまでの
暮らしを改めること だが三十八年そこに居たのは 男
が 惑わすものへの未練を断ち切れないということ 良
くなりたいという希望を持ちながらも 復帰したコミュ
ニティーで良い状態を持続する自信がなかったのだ  
あなたの罪は許された とは告げられず 起き上がり床
を担いで歩けとだけ言われその通りにしたが 感謝の言
葉はなかった その後神殿で出会ったとき 良くなった
のだからもう罪を犯かすな と諭されイエスだと確信 
安息日に俺を癒し律法を犯したのはあの人だと密告した
それから暫くしてユダが 主よ と呼び神と信じながら
も裏切ったことで 磔刑により刑死したことを知る ユ
ダはそのとき何と思ったか 心の片隅で 主は追っ手を
すり抜けることなく捕縛されたことを 
男は思う ユダは裏切りで銀貨三十枚を得たが 俺の得
たものは何か ベトザタに戻らなければならないほどの
病になったわけではない 人の罪を背負い死んだのだか
ら 俺の裏切りの罪は赦されたか エルサレムの 新た
にできたコミュニティーを羨望し その回りを徘徊しな
がら密告の虚しさを感じることが 唯一の救いなのだ
     参考  ヨハネによる福音書 五章

詩歌
2024/12/20発行
A5判 上製 カバー付

3,300円(税込)