作品詳細
二〇の物と五つの場の言葉
ポンジュをのり越えて、この知略は出現した
ポンジュの再来、というだけではない。諸篇の発表当初は「運動と時間」という副題がついていた。ベルクソンも物理も来ている。みんな来て、尾内達也という詩人の頭脳になり、眼になり、さらにそこから、あらまほしき事物の変容がまなざされている。そう、眼差しは真名指しでもあるだろう。二十の物と五つの場の〈誕生〉と〈名づけ〉をめぐる、これは静謐な陶酔の物語だ。
野村喜和夫
十二ロールのシングルのトイレットペーパー
どこにも存在しない青い花がプリントされた、ビニールのパッケー
ジからは微かにその青い花の香りがしている。ドラッグストアーの
やや高い棚に積み上げられた十二ロール入りのパッケージはあまり
目立たない。「ふっくらやわらか」がセールス・ポイントのトイレ
ットペーパーも、四つずつ三段重ねると意外に重い。一ロールで五
十メートルあると謳っている。五十メートルの空間が十二個凝縮し
ているわけである。つまりは六百メートルの空間が、この安っぽい
ビニール・パッケージ一つの中にある。次々に縦に伸びるか横に重
なって広がるか、垂直に高い壁と化すか、意外な重さは六百メート
ルの空間の重さであった。五十メートルのロールの芯には幻の青い
花の香りが宿り、それが六百メートルの空間を自在に咲き乱れてい
る。どこにもない青い花が咲き乱れた夏野をまるめて十二ロール、
手に提げてレジに並ぶ。パッケージの下の方に買い物した印の黄色
いテープを貼ってもらって帰る。幻の花の消費量は激しいのである。
GAZA――今ここに「ある」こと
月は眠らない――GAZAは眠らない(海も陸も敵意に満ちてゐる
――止むことのない瓦礫の崩落―空はひとつの偽りである。
月の光の中で、面のない人形たちが群れてゐる。GAZAに言葉は
届かない――悲鳴はいつも緑の小箱の中に隠されてゐる。
言葉を――透明な膜がかかつた言葉を―ナイフで切り出す、
痛み――血――詩――もはや、それはひとつの翳りである。
――今ここに「ある」こと、
今ここに「ある」ことでGAZAとつながる――、
まだ、雪は降らない、まだ、月は上がらない。
私があることで「死」とつながり、
私であることで「生」とつながる。
hic et nunc hic et nunc
光であれ――雪の、月の、
詩集
2024/05/25発行
四六判
並製 カバー 帯
表紙絵:Romie Lie