七月堂通信

2015年06月の記事

七月堂通信特別編 沖縄出張記7~三日目~

 三日目、沖縄最終日である。

 飛行機が夕方の五時発なので、朝からフルに動けばまだまだ時間はたっぷりとある。そのへんの時間のチョイスにも個人的な欲望が反映されているんじゃないかと見抜いたあなた、正解です。

 七時半にはホテルをチェックアウト。意気揚々と出発した。荷物も行きより軽い。「市場の古本屋ウララ」さんが『青い夢の、祈り』を持って行った分全て預かってくれたおかげだ。と思ったらそれだけではなく思いっきりジャケットを忘れてきていた。あわてて戻り確保。危ない危ない。沖縄では役立たずだったが、本来は大事にしているのだ。

 「ゆいレール」の駅コインロッカーに荷物を保管し首里城へ向かう。首里城公園は朝なのでまだ人もまばらだったが、ちょうど団体さんのガイドツアーに遭遇。付かず離れずでこっそり説明を聞く。最初の門からすぐの場所で立ち止まるガイドさん。

 「ここに見えているこの石垣、この石垣から上は全部作り物です。先の大戦で首里城は灰燼に帰しましたから。」

 衝撃。そんな重要かつ当たり前だろう情報を知らなかった自分自身に一番衝撃を受けた。

 民族衣装の男が銅鑼を打ち鳴らし開門を告げる。パフォーマンスとはいえ“誇り”と“本気”が伝わってくる。琉球王国が目の前で蘇ったかのような厳格で幻想的な瞬間に立ち会い、正殿へ。しかし先程の衝撃で気分は複雑だ。沖縄にいて楽しい気分でだけいるのは難しいのかもしれない。

 その後県立博物館に移動。「誰がいつ見つけたかわからない、何なのかわからない」謎の模様が刻まれた石板などを見て興奮する。なんだそのあまりにもふんわりした情報は!ジンベエザメの生態も謎に包まれていたが、この「わからないことを正直にわからないと認める」姿勢が何ともおおらかで沖縄的な気もする。素敵だ。脱線するが博物館は基本的に古代の品物を「宗教的な云々」と説明する。そのことに常々自分は疑問を感じているのだ。「角が生えている人間の像だから神様だろう」って「角が生えてたらかっこよくね?」とか言って古代人がフィギュア作った可能性だって十分あるだろうが!その見方をしたら五千年後の人間がお台場のガンダムを発掘したら即神様である。未来の人、注意してほしい。

 博物館で大いに楽しんだ後、タクシーで出発地の駅に戻ることにした。
 しかしそのタクシーのおじさんが昨日の「ゴリと勇」に負けないぐらい濃厚だった。短い距離なんですけどお願いします、と断りをいれたら

 「乗ってくれただけでありがたいですよ。んふふ」

 もう良い感じである。おじさん、良いキャラだ。
 
 とりとめのないトークの流れで「いやー実は出版社の営業で来たんですよー」と言ったところ「若い時は吉本隆明とか読んでたね、んふふ」と意外にも文系の方だった。「東京でね、彼女と同棲してたんだよね、んふふ」とか聞いてない話もして下さったが。

 ここで一つ沖縄の人にどうしても聞いてみたかったことがあるので聞いてみた。それは沖縄の「雲」についてだ。沖縄の雲はとても魅力的だった。大きくて、しかもそれが「ゴーっ」と音を立てているかのように速く流れていくのだ。台風の時の雲の速度と言えばわかりやすいか。朝には高い位置にある雲がゆっくりと、低い位置にある雲が勢いよく流れていく様子を見た。雲の高低差を感じたのは初めてだった。沖縄の雲っていつもこんな感じなんですか?

 「んーそうだね。こんなもんだよね。俺は東京にいたときも雲ばっかり見てたもんで“はぐれ雲”って呼ばれててね。知らない?漫画の?んふふ」

 すいません、ちょっとわからないです・・・

 「そう?そういえば「雲にのりたい」って歌もあったね。く~も~にのりた~い~」

 歌い出す“はぐれ雲”。
おいおい、良い塩梅すぎるだろ!なんなんだ沖縄のタクシー運転手は!どういう審査基準で選ばれているのかっ!と雲自体の話もなんだかうやむやになってしまった。しかしこれもまた楽しい。

 せっかくなので昔は文系だったという“はぐれ雲”にチラシぐらい渡しておこう。降り際に『青い夢の、祈り』のチラシを渡した。

 「あ~、いいね、このタイトルが。「青い夢」ってのがいいよね。「青い夢」とか「白い夢」なんていいんじゃない」

 と気に入ってくれた。嬉しいので名刺も渡しておこう。向こうも名刺をくれた。これまた意外にも花柄の名刺入れ。沖縄っぽいデザインでオシャレだ。ついつい「その名刺入れカッコイイですねー」と言ってしまった。

 「ああ、これ?今の彼女がくれたんだよね」

 とさっきから謎のシングルアピール+モテ男アピールを挟み込んでくる“はぐれ雲”。中に入ってるものを全部出して名刺入れを渡してきた。え?なんだなんだ?

 「これ、いる?」

 「えぇー!!いやいや、もらえないですよ!だって彼女がくれたんでしょ!?」

 ついつい手にとってしまったが、そんなもの貰えるわけがない。慌てて“はぐれ雲”の手に押し戻す。

 「ん?そう?んふふ・・・」

 いやー驚いた。初対面の人間に彼女からのプレゼントをくれようとするとは・・・今まで生きてきて想像もしたことがない優しさ(?)だ。しかしこのおっさんが特別なだけとも思えない。この唐突で素朴な優しさが沖縄なのだろうか。これからは自分も初対面の人にあげられる何かを持ち歩くべきだろうか。

 「暑い土地に来たらその暑さに思いっきりやられてみるってのもいいかもしれませんね、んふふ」

 と別れ際に“はぐれ雲”。ええ、もう十分にやられましたよ。暑さにも、あなたの雰囲気にもね。

 昼食はハンバーガー屋で。ハンバーガーを頬張りつつ「湿布の味がする」と噂に聞いていたルートビアーを飲む。不思議と充実したやり切った気分だ。自分が今回出来ることは全てやったな、と思った。東京に帰ろう・・・しかしこいつは本当に湿布の味がするぞ。甘い湿布だ・・・でも悪くない。

 また飲みに来よう。

沖縄の海、空、雲
沖縄の海、空、雲。


No.0038 2015年06月30日 O

七月堂通信特別編 沖縄出張記6~二日目(後編)~

 勢いと見せかけて計画的に美ら海水族館にやって来たわけだが、片道三時間かかっている。つまり帰りも三時間かかるわけで、そう長居はできない。本来であれば海辺のホテルに泊まって翌日改めてエメラルド・ビーチを満喫したいところだが、今回は仕方がない。そもそも出張で沖縄に来たことを思えばビーチに未練を感じている筋合いなどさらさら無いのだが、とても未練だ。次はこのあたりで三泊ぐらいしてやるぞ、チクショー。ビーチに後ろ髪をひかれつつ、ジンベエザメからの「もう帰っちゃうの?」的テレパシーを感じつつバス停に向かった。あ、そういうテレパシーっぽいことをするのはサメじゃなくてイルカか。というかイルカのいる場所見忘れたのを今思い出したぞ。改めてチクショーである。

 炎天下、バスを待つ。といってもバス停にはきちんと屋根がついているし、海からの風が吹いてくるので那覇のような衝撃的な暑さではない(那覇では日陰も暑かった)。美ら海水族館のある海洋博公園は沖縄の目玉観光地なのでとても綺麗に整備されている。バス停の居心地も悪くない・・・が、バスは全然来ない。おかしいな、さっき中央案内所でバスの時間も聞いたのだけど、このへんが島時間というやつなのか。そしてバス停の時刻表や目的地を見ても地元の人間じゃないからか純粋に自分の頭が足りないのか、よくわからない。

 どうしようもないのでひたすらバス停に座って待っているとタクシーの運転手が頭に濡れタオルを乗せて近づいてきた。どうやらバス待ちの観光客を狙っているらしい。なんとも観光地らしい現象だ。運転手のおじさんは中国人の老夫婦に狙いをさだめセールスを始めた。しかしバスなら千円の場所に五・六千円出す人はそうはいない。そんな様子を見ている間にもう一人タクシーの運転手がバス停に近づいてきた。今度は自分の後ろに座っていた家族連れが標的だ。しかしなかなかどの人もお財布の紐は堅いようで思い通りに事は運ばない。うすうすこっちにも来る気配を感じていた矢先、

 「日本人?」

 ・・・・そこかい!
 
 「日本人ですよ」

 そう言った瞬間、おじさんは堰を切ったかのように話し出した。

 「いやあ、今日本人の観光客が少なくてねえ、こうやって話せるのもあんまり無いんだよ」

 気付くと中国人の老夫婦を狙っていた運転手もこっちにやってきた。なぜかバス停のベンチでタクシー運転手に挟まれる奇妙な事態になってしまった。

 話し出したおじさんは何となく「ゴリさん」という見た目だ。
 老夫婦を狙っていた運転手は往年の名俳優長門勇が破顔したような顔をしている。

 そんな「ゴリと勇」は色々とローカルな真実とも噂ともつかないどうでもいいような重要なような話を散発的に披露してくれた。

 「あのへんに(アイドルグループの)嵐が来たらしいね」

 「沖縄に来る中国人観光客の持ってるお金全部合わせたら沖縄が買えるっていうよ」

 そ、そうなんすか。

 ゴリと勇が二人で話し出すと完全にお手上げだ。沖縄の言葉は「日本語の方言」ではなくて完全に「別の言語」だと実感する。二人の口から出てくる魅力的な音の内容は推測すらできない。

 勇が今度は若い中国人観光客の一団に狙いを定めバス停を離れていった。ゴリさんは相変わらず横に座っている。
 ふと「何時のバス?」と聞かれた。二十分ぐらいのバスのはずなんですが・・・やおら立ち上がり時刻表を見てくるゴリさん。

 「三十八分だね」

 その後も散発的に話したり無言で風を感たりとバス停での時間はゆるやかに続いた。

 ようやくバスが来たようだ。

 「バス、来たよ」

 と一言残し去っていくゴリさん。

 ・・・・え、それだけ・・?・・ただの良い人じゃないか!

 観光地の客引きタクシーと思って変に警戒してしまっていたが、そういえばゴリも勇も一回乗車を断られたらしつこく誘うことはなかった。ただお喋りしてバスの時間を気にしてくれただけだったのだ。めちゃくちゃ優しい。そしてこの時とても「沖縄」を感じた。
 強烈な日差しを避けて日陰に集まってくる人々、はじめて会った同士でするとりとめのない会話、そして時折吹く涼しい海風。知らず知らずのうちに素敵な時間を過ごしていたようだ。生ぬるく、妙に心地良い時間だった。

 帰りのバス、一人の老人が降りていく。なかなか手間取っている様子の老人。ふと見ると片脚が無かった。

 見える傷跡もあれば簡単には見えてこない傷跡もあるのだろう。さっきのゴリさんと勇だって何かしら抱えているに違いない。

 これもまた沖縄の避けられない姿だ。

風景


No.0037 2015年06月25日 O

七月堂通信特別編 沖縄出張記5~二日目(前編)~

 那覇の街は平和だ。夜の国際通りの穏やかなこと、そのゆったりとした楽しさは何ともいえない魅力に満ちていた。調子に乗って地元民しか入らないだろう裏通りを歩きつつホテルに戻ったのだが、またその通りがのんびりとしていて落ち着くのだ。窓を全開にしたベリーダンス教室を、寺子屋風の学習塾で子供達が勉強している様子を横目に通り過ぎる。時折吹いてくる風が涼しくて心地良い。この風が昔から沖縄の人々が感じている風なんだなぁと思う。とても良い気分だ。

 といった感じで那覇の街を味わったのだが、この平和な那覇からだけでは「沖縄」の真の姿は見えてこないだろう。というわけで二日目は北部へ向かう高速バスへ飛び乗った。

 仕事はどうしたんだ、という声が聞こえてきそうだが、書店回りは一日目に無事終了した。むしろここからが本番である。それはどういうことか。つまり、出来る限り沖縄の姿を見てくることがボスから自分に与えられた隠れた使命であると直感したのだ。沖縄を取り巻く主種様々な問題・・・そういったシリアスな部分に触れてこいよ的な空気を出張に出発する前から感じていたのも事実である。ちょっと地図を見てみよう。那覇があるのは沖縄本島の南部だ。そしてキュッとくびれた形状になっている中部にはニュースで何度も耳にした地名が目につく。つまりこの北部行で短時間の内に沖縄の様々な側面を見ることが出来るはず、まさに今この出張の核心に迫っているのだ・・・!

 とりあえず那覇から北部の名護バスターミナルへ。那覇市内から高速道路に入るまでは渋滞でにっちもさっちもだったが、高速に入ったとたんに運転手のスイッチが入ったのか猛烈な勢いで北進していく。一般車をごぼう抜きにしていく様子はさながら「爆走デコトラ伝説」だ(ネタがわからない時にはウェブ検索を推奨)。

 沖縄の住宅は何ともアジア的でごちゃっと密集しているように感じる。特に那覇近郊ではアパートなどがワイワイと集まっている様子が見てとれるだろう。それがバスの車窓から見慣れない雰囲気のこざっぱりした広い空間が見えてきた。同じかたちの大きな一軒家が十分にゆとりをもって建っている。日差しが強烈過ぎるので誰も遊んではいないが、公園だろうか、大きくカラフルな滑り台も見える。しかしふと反対側の車窓を見やれば那覇と同じようなワイワイした住居が集まっている風景だ。
 その時、あ、これか、と思った。基地の気配だ。おそらく見えたのは軍関係者が住む住宅地だろう。理路整然と並ぶ住居と清潔で広大な敷地。突如現れた異質な世界に複雑怪奇な感情が湧き起こる。良い悪いとかではなく、一瞬シュールレアリスムの絵画に入り込んだようで、ただただ不可思議だった。

 しかし異質さを感じるのはそのぐらいで、その後もバスは順調にぶっ飛ばし、右手に青い海が見えてきた。左手にはビッシリと小骨のような木が生えた緩やかな山が見えている。植物と海を見ると「沖縄!」を感じる。那覇の街中も当然と言えば当然だが南国なので、東京とは全く植生が違う。見たこともない植物たちは「違う場所に来たなぁ」と感じさせてくれるので楽しい。

 名護バスターミナル着。暑さのためか人がほとんどいない。書き忘れていたが自分が那覇に着いたまさにその日に沖縄県は梅雨明けしたのだ。暑くて当然だ。ここで路線バスに乗り換える。のんびりと田舎道を進むバス。乗ってくるおばあ達の会話は完全に方言で聞き取ることが出来ない。昼時に近づき日差しはどんどん強烈に。白い壁と赤茶色の屋根、くたびれた町、旅情だ。昨日の書店回りが嘘のようだ。自分は今異国にいる、と感じる。
 バスは山道を抜け、また青い海が見えてきた。もうバスに乗っているのは自分だけ。貸し切り状態になってしまった路線バスから臨む青い青い美しい海。なんだこれ最高だな!めっちゃ楽しい!
というところでバスは目的地の美ら海水族館についた。

 ・・・

 ・・・おいおい、話が違うじゃないか、シリアスな使命はどうしたんだ!?

 ・・・うるせぇ!!はじめて沖縄に来てシリアスもくそもあるかい!おれは「沖縄行くならクビになっても美ら海」って心に決めてたんじゃ!大体片道三時間かけてもう来ちゃったもんね!ヒャッハー!

 ・・・みなさん、美ら海、凄い楽しいですよ。ジンベエザメ三匹います。しかし勝手にジンベエザメって20メートルぐらいあるって思ってたら水族館にいる一番大きいので8・5メートルでした。勝手に期待して勝手にガッカリしましたが、それでも大きいです。生態はまだまだ謎だらけって飼育員のお姉さんが言ってました。20メートル級の出現に期待したいです。

 そして水族館の後ろにある海を見に。その名もエメラルド・ビーチ!唐突な絶景と猛烈な暑さに頭と気持ちがついていかず呆然。眩しくて眩しくてどう撮れてるかわからずに撮った写真を後から確認してその綺麗さに唖然。チクショー、美ら海のあたりで三泊ぐらいしてえよ・・・と心から思ったのでした。

ジンベエザメ
ジンベエザメ。でっかいどー。



また行きたい沖縄。
OH~・・・今すぐにでもまた行きたい沖縄。


No.0036 2015年06月23日 O

七月堂通信特別編 沖縄出張記4~一日目(後編)~


 まさかの一日目が前編・中編・後編と三部構成になってしまった。まだ後二日あるのだが、どうしよう。とにかくこの一日目の後編はサクッと終わらせたい。もう中編のところで仕事を終わらせてしまったので後は完全に沖縄見聞録になる。そんなに分量も割かずにトントンと話が進むはずだ。それでは夜の国際通りに繰り出そう。

 目的は達成された。営業で炎天下を歩き回り、沖縄の暑さをこれでもかと味わう羽目になったが、これも良い勉強だったと思おう。東京で営業するのと沖縄で営業するのを同じように考えてはいけない。ぶっちゃけ全部タクシーで回るぐらいでないと体がもたない。なんせ気付けば500㎜のペットボトルを三本空けていたのだから。それでもまだまだ飲み足りないぐらい汗が噴き出す。
 ホテルで二時間ほど放心状態になり、なんとか夕食を食べに出る程度の気力は回復した。夜七時を過ぎてもまだまだ明るい。夕方五時ぐらいに錯覚する。しかし風は若干涼しさをはらんできた、これならば生き物が活動するのに支障はないだろう。

 書店回りで歩いていたときには気付かなかったが、那覇のメインストリートである国際通り、めちゃくちゃ楽しいぞ。こんなに穏やかな繁華街が存在するのかっ!と思うぐらいのんびりとしている。居酒屋や土産物屋の客引きもいるにはいるが、みんなガツガツしていない。
 先程の営業活動の際、沖縄で生活する上でのかりゆしウェアの重要性を実感したのであちこち服屋を冷やかす。とても派手なシャツが堂々と「父の日のプレゼントに」と売られているのには感動した。かりゆしは立派なビジネスウェアでもあるのだ。ファッションに興味の無い会社員がスーツで出かけるところ、沖縄ではかりゆしを着て出かけるということになる。なんて素敵なんだ沖縄!東京でも同じようにするべきだ。ちょうど早朝に東京駅に向かう車内で見た、サラリーマン達が同じに見える白シャツ姿で眠そうにしている様子が目に浮かんだ。それがみんな色とりどりの花や雲がこれでもかと自己主張するかりゆし姿だったらどんなに楽しいだろうか(実際翌朝の「ゆいレール」車内で見た光景はまさしくそれだった)。
 
 あちこち見ていたら国際通りの入り口にあるデパートについた。もう歩き疲れたし、あまり食い物のことを考えるのも面倒なのでここでいいやと食堂街へ。食い物に大して興味はないけれど、折角なので土地のものを食べたい、そして野菜は沢山食べたい、というわがままなOLのような嗜好の人間に打ってつけのビュッフェ・レストランがあったのでそこを選んだ。
 よくわからんけれどゴージャスな店内。あれこれ食った後にもずくをワンスプーン取ったところ市販の五倍以上の量を食べることになった。新鮮で凄く美味しい。新鮮なのであまりお酢を入れていないのも良い。しかし量が量だったので後半は海をそのまま食っている気分になり若干グロッキーだった。全部食べたが。

 おいしいものはほどほどにというのが沖縄の夜の教訓である。

もずく
もずく。写真だとわかりにくいけど多いんです。



レストラン
もずくを食ったレストラン。謎のゴージャス感。




No.0035 2015年06月23日 O

七月堂通信特別編 沖縄出張記3~一日目(中編)~

 空港から那覇市内までは「ゆいレール」で向かう。ゆいレールは空港から首里城の最寄り駅である首里まで三十分程度で結ぶモノレールだ。なるほど、このまま乗っていれば首里城まで一直線なのか、とは思ったが、まずは仕事を完遂しなければ。幸いにも車窓の景色は仕事をほっぽり出して逃げ出したくなるようなものではなく、どことなく立川に似ている。完全にモノレールと=の脳内変換だが、ここは立川だ!と思えば仕事をするのも苦ではない。使命を果たす時がきたのだ。

 那覇市内の書店はほぼメインストリートである国際通り付近に集中している。地図を見た感じでは徒歩十五分圏内に全ての目的地があるようだ。なので東京中を縦断しながら行う都内での営業活動を考えれば非常に楽だろう。念のために二泊三日の日程で来沖しているので、今日頑張ればこの先はかなりその、なんだ、自由に沖縄を見れるというか、まあそんな感じだ。

 前述したように七月堂は「つちのこ出版社」なので、営業活動も簡単ではない。書店に行き、出版社のものですが、と名乗るだけならば店員さんの対応も親切だが、七月堂と申します、と付け加えると事態は一変する。まあ露骨に怪訝な顔をされることも無くはないが、親切な店員さんが文芸担当さんを探しに行くと大体お休み。ならばいつ会えるのか、と追求しても「休みは不定期なのでわからない」なんて言われてしまうこともある。なのでつちのこに会って下さるだけでもその店員さんは超良い人だと思うべきだ。しかしいざ担当さんに会えてもそこからがまた厳しく、「詩集はちょっと・・・」という雰囲気が濃厚に漂っている場合が多い。「うちは詩集を置いてません」と言われてしまったこともあった。
 都合の悪い話には「ですよねー」と便乗、手応えを感じた時にも「そうなんですよー!」と便乗し、様々な障害を突破して七月堂の本は書店に置いていただいています。ありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。

 ホテルに荷物を置き営業に出発、かなり手応えが良い。さすが「沖縄出身の詩人」というのは沖縄で強い。七月堂の感覚からいえば詩集で注文される数としては異例な数を大型書店二店舗が注文してくださった。しかも担当さんから「売りやすそう」と詩集に対して聞いたことのない感想をいただく。素直に嬉しい。いわゆる「担当が休み系」のお店もあったが、まあ深追いはせずに引き下がった。本の案内は託したのでもし機会があれば注文していただければ嬉しい。

 今回の出張では是非とも行きたいお店があった。ジュンク堂の池袋店さんに『青い夢の、祈り』をご案内した際に教えてもらった「市場の古本屋ウララ」さんだ。担当さんによると、もともと池袋店にいた店員さんが沖縄店に移動し、さらにそこを辞めて始めた古本屋だという。市場の一角にあり、「日本一狭い本屋」としてメディアにも多数紹介されているとのこと。古本屋だけど沖縄関係の新刊も扱ってるみたいなので行ってみたら、と「ウララ」の店主である宇田智子さんの著書『那覇の市場で古本屋』を紹介してくれたのだ。それからこの本は沖縄営業に行くためのバイブルになった。実際那覇の書店を回る際にも本書に掲載されている「那覇の本屋さんだいたいマップ」を見ながら回ったほどだ。本好きの方が沖縄に行く際には是非参考にするべき一冊である。

 本を読んでしまった手前、その著者がやっている店に行くというのは緊張する。大型書店に行くよりも緊張する。しかも純粋に読者として「読みました、面白かったです!」と言う前に出版社の営業として本の押し売りに行くわけだから気も重い。
 しかし本屋がほんとにあるんかいな?と疑問になる光景だ。ついつい横路に吸い寄せられてしまったこの市場界隈はアジアの迷宮のようだ。あちこちで三線の音がなり、色とりどりの服やら布やらが視界をちらつき、おばあや猫が暑さにうだっている。先程から炎天下を歩き回っていることもあり頭が完全に混乱している。へろへろだ。自分が何をしに今この場所にいるのかがよくわからない。これが南国の魔力か。ちなみにさぼってうろついていたわけではない。

 何とかメインストリートに戻りやっと「ウララ」さんを発見した。いやー突然来た押し売りに親切にしていただき心から感謝。もしやと思い持ってきた『青い夢の、祈り』五冊をその場で預かってくださった。しかも可能性があるかもしれない新刊を扱っている古本屋さんまで紹介して下さる。しかし、暑さと真新しい情報の連鎖で頭がふわふわしているのでありがたい情報がほとんど脳に入らず。

 「しかし、暑いっすねー」

 その時の姿を客観視すると、ぐしゃぐしゃに汗だくの長袖シャツ姿で手にはジャケットを持っていた。THE・ストレンジャー・イン・那覇である。

 「それ、これ以上まだ、着るのかと思いました」

 と「ウララ」の宇田さん。本当にその通りだ。沖縄での人とのやりとりはジャケットで防御しながら行うようなものではなく、もっと自然で普通なことだと思う。

 沖縄へ行かれる皆さん、是非「市場の古本屋ウララ」さんで『青い夢の、祈り』を発見したら思い出に一冊、お願いします。

市場の天井。なんだか怪しい
市場の天井。なんだか怪しい。


No.0034 2015年06月19日 O

七月堂通信特別編 沖縄出張記2~一日目(前編)~

 沖縄に行くという段になり、飛行機やら宿やらのリサーチを新作業員氏に頼んだところ、リサーチを通り越してその日中に往復の飛行機からホテルの予約まで全て完了してしまった。なんという敏腕な新作業員なんだ。あげくの果てに空港行きのバスまで事前に予約し、書店や新聞社の位置を地図に書き込み、一日ごとにこうすれば円滑にいくというプリントの束も作ってくれた。
 「バス停に着いたらこの地図は捨ててください。バスに乗ったら予約確認の紙は捨てて大丈夫です。次は飛行機の搭乗券、これがホテルの予約確認表です。」
 お、おう。凄い勢い、もはや旅行代理店だ。または初めての修学旅行へ旅立つ息子を心配するお母さんのようでもある。(ちなみに新作業員氏は男だ)

 という素晴らしいアシストによりとても円滑に沖縄へ旅立つことができた。感謝。

 朝五時に起き六時半には出発、成田行きのバスに乗るために東京駅を目指す。
 今回の旅はあくまでも仕事優先(当たり前か)なので、それを自分に言い聞かすためにジャケットを着用した。普段の七月堂の仕事でジャケットは着ない。自分を奮い立たせるための衣装だ。ジャケット姿の良いところはこれさえ着ていればとりあえず真面目な人間だと思ってもらえるところにある。私服でも大丈夫だとボスに言われて営業に行ったところけんもほろろに追い返された経験が何度もある。やはりジャケットは必須だ。ジャケットはお守りであり最強の防具だと思っている。

 新作業員氏の言いつけどおりに進み何のトラブルもなく飛行機へ搭乗。タラップの前で自撮りしている女の子の二人組などが目立つ。「どいつもこいつも浮かれてSNSに投稿か!こっちは仕事だ馬鹿野郎!」などとは思わずに温かい目でそれを見守っていたことは言うまでもない。

 窓側の席、ラッキー!しかし序盤は味気ない風景が続く。まあほとんど雲の中だからだが、梅雨前線を突破し、雲海を下ってからの景色は最高だった。青い空、青い海、間違いなくガイドブックで見たあの南国の世界が近づいてきている。

 「そろそろだな・・・!」

 ・・・と思ってから三十分以上経っても飛行機は延々と海の上を飛行していた。行けども行けども島は見えてこない。島が見えてこないのに段々と高度は下がってきた。海面すれすれだ。おいおい、大丈夫か。と心配になり反対側の窓の景色を見たらもう街が見えていた。そういうことか。

 無事到着。LCCターミナルは自分が貨物になったかのように錯覚する作りだがそれもまた面白い。貨物の間を通って到着ゲートに向かう。
 タラップを降りた時点でうすうす感づいてはいたが、暑い。それも今まで経験したことがない芯からくる暑さだ。もちろんそんな気候の中でジャケットを着用しているのは自分だけだ。何かが間違っているという気はしたが、とにかくすし詰め状態のバスでLCCターミナルから国内線ターミナルへバスで移動する。そこからモノレールで那覇市内の書店営業に出発する予定だ。と真面目に書いているが変な体勢で無理矢理バスに乗り込んだのであちこち痛い。そして繰り返しになるが暑い!ジャケットを着てきたのは完全に間違いだった・・・バスから降りたらとにかく脱ごう。

 飛行場内で五分バス移動しただけでヘトヘトになった。上着着用で沖縄に降り立った自分のミスなのだが、ジャケットを地面に叩きつけてやりたい衝動にかられた。
 さておき、時間も昼時だし、腹ごしらえしてから出発しようということでターミナル内の食堂街へ。おあつらえ向きに沖縄そばの店が何軒かあるではないか!これは仕事前に少しでも沖縄気分を感じなければ!ということで迷い無く店へ入る。実は沖縄そばすら食ったことがない自分だ。
 食欲を刺激するような適切な表現で食べ物を描写する能力に乏しいので沖縄そばの味覚の詳細は割愛させていただきたい。が、かけて食べるべし!と渡された泡盛に唐辛子がつけてある調味料(「コーレーグス」というものだそうだ)をかけて一口いただけばもう全身から沖縄だ!美味い!あっさりとしていながら肉の濃厚さが・・・と頑張ろうとしたがやっぱりやめた。皆さん、沖縄で是非ご賞味くださいね~。

 五感から(胃袋からか)沖縄を感じた感想としては、ここまで来たわけだし、営業しなきゃいけないのは重々承知だし、やらなきゃいけないんだけれども、そうなんだけれども・・・やっぱり仕事したくないのであった。

続く

次回からやっと働きます
次回からやっと働きます。

No.0033 2015年06月17日 O

七月堂通信特別編 沖縄出張記1~出張前夜~

 「沖縄に社員旅行に行こうと思ってるんですよ」

 知念さんが『青い夢の、祈り』の著者湊禎佳さんに話しているのを聞いたときは、また何の冗談かと思った。七月堂のような小さい小さい出版社で「沖縄に社員旅行」というのは有り得ない。七月堂は「知る人ぞ知る」と言えば聞こえはいいが、世間的には存在を確認されていない「つちのこ」のような出版社だ。「つちのこ」の存在すら信じない人々は「つちのこが沖縄に旅行に行く」という話をどう思うだろうか(何の話だ)。さておき、その沖縄旅行話が巡り巡って沖縄出張に変化するとは・・・

 『青い夢の、祈り』は沖縄出身の湊禎佳さんの詩集。テーマはずばり「沖縄」。内容には沖縄戦の描写も多いが、一冊の中に貫かれているテーマは沖縄の豊かさへの礼賛と祈りだ。ドキュメンタリー以上に真実を伝える言葉の力を感じる作品であり、「つちのこ出版社」である七月堂にとっては久々にメジャー路線でもアピール力のある作品になった。これは是非書店にプッシュしようということで新作業員氏に書店巡礼の旅に出てもらったのだ。

 「この本は沖縄でも売ったほうがいい、と言われました」と都内の大型書店を営業してきた新作業員氏。
 うーん、それはそうかもしれない。この詩集の中に出てくる沖縄の言葉は、本土の人間にはなんとなく前後関係で意味を推し量る程度にしかわからないものも多数ある。沖縄の人ならばもっと純粋に詩として楽しめるだろう。
 このあたりから七月堂が沖縄に行く気配はあった。確かにその機運はある。

 「でも行くなら知念さんだよなー」
 七月堂の代表であり、我らがボスである知念さん。その血は純粋の沖縄人だ。『青い夢の、祈り』の湊禎佳さんが七月堂に原稿を持ってきてくれたのも「沖縄の人のところで作りたいと思った」からだという。知念さん自身も『青い夢の、祈り』の原稿を読み、出版を熱望した経緯がある。そして何より知念さんはまだ故郷の地に足を踏み入れたことはない。このチャンスに知念さんが行くべきだ。そうなるだろうし、どう考えてもそうだろう。しかし・・・

 「沖縄に行って下さい」

 「!?」

 (オレが沖縄?マジか・・・沖縄・・・本当に行っちゃっていいのか!?)
 表面上は冷静を装いつつも内面は錯乱状態だ。知念さんは「自分はまだ行けない」と言う。知念さんの沖縄への個人的な思い入れはこちらには想像もできないほど色々と複雑にあるのだろうなぁとは思う。それは常日頃言葉を交わしていて感じていることでもある。しかし、僕が行っちゃっていいんですか!?
 沖縄は自分にとっても未知の場所だ。遊びに行ってきた友人・知人の話は無尽蔵に聞いたことがあるが、まさか自分が行く時がやってくるとは。しかも七月堂の出張で!?「七月堂の出張」なんて有り得ないことを意味する諺なんじゃないかというぐらい有り得ない状況じゃないか。まさに「つちのこの出張」なのだから。

 しかし、行けと言われているのだからもう行くべきだ。今の時期を逃すと本格的にサマーシーズン到来、沖縄も色々と本気を出してくるだろう(?)行くならさっさと決めるべきだ。書いてるだけで興奮してきた。
 沖縄を知るべく昼休みに慌てて駅前の本屋へ行きガイドブックを買う。頁を開いた瞬間に稲妻に打たれた。

 「これは・・・働いてる場合じゃないぞ!!」

 青い海、青い空、白く輝く海岸。THE南国ではないか。南国に仕事に行けって?それはあまりにも酷だ!
 出張の話が決まった瞬間に観光ガイドを買いに走ったことに対して「仕事なんだからもっと他にやることがあるんじゃないか?」という真っ当なご意見を聞くことは一端保留にさせていただきたい。なんてったって沖縄なのだ。

 その日から仕事をしなければいけないという思いと南国で遊びたい本能的欲求の板挟みになり、若干ノイローゼ気味になったのだった。

続く

真っ先に鞄に詰めた遊ぶ気満開の私服
真っ先に鞄に詰めた遊ぶ気満開の私服


No.0032 2015年06月15日 O

お茶会@七月堂「第一回」無事終了

 「事務所のスペースでお茶会という発想は無かった!」というお客さんの言葉。確かにイベントというと小さなお店を借りてやるのが一般的。しかし実は七月堂の事務所、前は麻雀屋だったそうで、多少なりとも人が集まる雰囲気が元からあったのでしょう。
 定員十名と設定したものの本当に誰か来てくれるのだろうか?と半信半疑でしたが、じわじわとご予約いただき、開催週の半ばには定員が埋まりました。当日行けなくなったとご連絡いただく場合を考慮していなかったので、本当はもう少し定員に余裕をもってもよかったかなーというのは反省です。しかし最初の一名にご予約いただいた時には「この人一人のためにでもやろう」と思いました。本当に感謝です。
 正直始まるまで何をするのかということが漠然とした状態でしたが、もう知念さんに任せれば何も問題はありませんでした(笑)二時間があっという間でしたし、結局お客さん達が本を見てる間に話が始まり五十分ほど延長(笑)おいでいただいた皆様、長いお時間ご静聴ありがとうございました。
 どんな話をしたのかという細かい話は前述のとおり三時間弱あったので省略させてください(笑)ただ七月堂の破天荒な始まり方はツイッターに少し紹介したとおりです(笑)。(笑)がたくさん登場してしまっていますが実際楽しかったです。これからも本に関わることで話を聞く会や朗読会など開催していこうと思っています。知念さん本人のツイッターに「考えていたことの十分の一も話せず・・・」と書いてあったので「お茶会」自体の続編もあるかもしれませんね。三時間話してまだ十分の一かい!と驚いているところです(笑)!

 そして七月堂の事務所を使ってイベントをやりたい方、お気軽にお問い合わせください!

お茶会@七月堂「第一回」無事終了

No.0031 2015年06月10日 O